今から十年位前に、臨済宗の寺院であったエピソードをご紹介する。それは、ある寺院で大きな法要があり、一派の管長様を特別にお願い
をされた。 管長様は、三百人程の檀家さんの前で、父母の恩・国の恩・師の恩・衆生の恩について法話をされたのであるが、そのお話を聞いていたあ
る大学生が手を挙げ管長様に、 「質問してもよろしいでしょうか?」と訊ねた。 お許しが出たので、その大学生は話を始めた。 「私は恩なんて必要ないと思います。国の恩なんて、国民は税金を払っているのだから、国がサービスをするのは当然である。師の恩なん
て、私たちは授業料を払っている。また、親の恩なんて、頼んで生んでほしいと言ったものではない。勝手につくったものである。それよりも、お金が大事。お
金があれば何でもできる。だから、勉強して良い会社に就職して高い給料をもらう。そして、いつかは社長になる。やはり、お金が一番。恩なんて関係ない。」 このように言ったものだから、周りの檀家さんはびっくりし、堂内は騒然となった。そして、管長様は、どのような答を出されるか誰もが
注目をしたのである。 管長様は一言、「お前さん、いくら欲しいのか?」と。 大学生は、理屈で答えが返ってくると思っていたので、予想外の言葉に驚き、焦った。
大学生は一千万円もらえるというので心が動いた。 「条件て何ですか?」 「お前さんの命をよこせ。」
大学生は困ってしまったのであるが、後日、彼は「管長様のお蔭で目が覚めた。あの時、管長様とお出合いし、叱られて本当に良かっ
た。」と語っている。今は立派な社会人である。 理屈は言うが、命というものを全く考えず、命があるのが当り前というのが前提になっている。当り前になって感謝がなくなっている。今
は恵まれすぎて、何もかも当り前になり、有り難みがなくなっている。 人間は、一人で生きていくことはできない。たくさんの人に支えられているから、生きていけるのである。世間は、恩という陰の力が働い
ている。その力によって私たちは、生かされているのである。 了
(市会議員・中島健一) HOME |
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