誠意・真心を他人が見ることはできません。 でも、見ることができないといっても、誠意・真心がこもっていればそれを感じることがあります。 さて、孟子は我が身を偽りなく誠にするには、是非善悪を明らかにしなければならないと説いています。 しかし、政治、まつりごとではそう簡単にはいきません。 道路一つを作るにしても、賛成する人もいれば反対する人もいます。それぞれに理があり間違いとは言い切れません。それでもひとつの方向に歩みだすには、何かしらの決断をしなければなりません。そこには、いい意味での話し合いと、譲り合いがなければうまくいかないものです。かつ、誠意・真心がなければいけないのは当然でしょう。 これに対して人の道の是非善悪、これは判別がしやすいものだと思っていました。ところが最近そうでもないようです。 幼い子どもを巻き込んだ犯罪や拉致監禁、殺人などの凶悪事件が増えています。本当にただただ驚くばかりです。 これはなぜでしょうか 私は、営々と築いてきた日本人としての大切な何か、精神が失われてきているからだと思います。 風物を愛し、侘び寂び(わびさび)の心を知り、質素な美(生活)を大切にする、そういった日本的な精神が廃れつつあることに大きな要因があると感じるのです。 科学技術が発展しても、使う言葉が変わっても、失ってはならないものがあるはずです。そこを失いつつあるから、人の道の是非善悪が混然としてきているのではないでしょうか。 新しい年を迎えましたが、希望あふれる年にしていくために、皆さんの意識の中に、ぜひ失われつつあるものは何か、どうすればよいのか、という視点を持って日々の出来事を見て頂けたらと思うところです。 年頭からおこがましい事を書いてしまいました。異論反論もあろうかと思いますが、私が最近思う一端ということでお許し頂ければと思います。 (市会議員・中島健一) HOME |
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