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2004年(平16)1月22日 議会レポのロゴ 番外

拝啓 落選議員の皆さんへ
おめでたいはずの正月も皆さんにとっては、つらくやるせなかった事でしょう。

の文章で始まる18日付読売新聞の編集委員執筆の記事は、自分が落選したときの事を思い出させてくれた。

 落選が確定したときの力が抜けていく脱力感、人の話す言葉が耳を素通りし理解するのに時間がかかった。そして事務所のあの重い雰囲気。一夜明けると「落選」の二文字が現実として受け入れないといけない事を新聞紙面が教えてくれる。誰とも会いたくなくても事務所の撤去など、こなさなければいけない実務が待っている。そして、記事にも載っていた「お構いなしにやってくる請求書に応じるため、勤め口を探さなければならない」と就職活動。

 この私も就職口を探すため履歴書を約30社に送った。面接までいけたのは三分の一ぐらいだろうか。ようやく採用された宝飾関係の仕事。大阪への通勤生活。いろいろあったことを思い出す。

 しかし、今になって思えば、あの「落選」は私自身にとっては大きなプラスになった。20代の若さで議員となり、あまり深く考えていなかった「政治とは」「議員とは」を改めて考えるきっかけとなった。あのまま、当選し議員を続けていたら、鼻持ちならないお高くとまった議員になっていたかもしれない。

 今、各地で若い議員が頑張っている。初当選の時から謙虚に頑張っている議員がほとんどで頼もしい限りだが、中には履き違えている人も見受けられる。私のように落選してから気づくのは、その人にとっても住民にとってもマイナスだ。落選するまでもなく議員活動を続ける中で、地に足のついた活動見失わず活動を続けてほしいと願うものだ。 

(市会議員・中島健一)

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