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2014年(平26) 5月22日 議会レポのロゴ No.609

※日台の友好は安全保障

 以前より、日本と台湾の友好は日本の安全保障でもあると考え、交流を深めるために芦屋市議会にも日台友好議員連盟を設立するなど尽力してきました。
 先日、台湾視察に参加する機会がありましたので、その概要をお伝えしたいと思います。

▼明石元二郎総督 復元鳥居
 明石元二郎は、日露戦争前にロシアへ渡りロシア革命を支援、その後の日露戦争を勝利に導いた陰の立役者です。そして、第7代台湾総督としても活躍し、台湾に深く縁のある人でもあります。

 明石元二郎の功績、何故台湾に遺骨があるのかなど、ここでは割愛しますが興味のある人はぜひ歴史を探ってみてください。

 私は、新北市三芝郷にある墓地には行った事があったのですが、台北市の元々墓地があった場所、林森公園に復活した鳥居は見たことがありませんでした。土中から掘り起こされ、元の場所に戻った鳥居は、今では重要な都市歴史文物として保存されています。

▼蔡混燦氏との懇談
 自分のことを、「親日」ではなく「愛日」と言って憚らない蔡混燦氏。またの名を老台北(司馬遼太郎の‐街道を行く‐台湾紀行での案内役)。体調が悪いと のことで、長く懇談することができませんでしたが、今後の日本と台湾のあり方を心配されているのが、よくわかりました。早くお元気になってほしいと願わず にはいられません。

▼ひまわり運動の学生と対話集会
 中国とのサービス貿易協定が台湾にとって危険なものだと周知せしめたこの運動。約1ヶ月に渡って立法院(国会)を占拠しながらも広範な国民の支持を得て、抗議集会には50万人(主催者発表)もの人を集める大規模なデモを成功させています。

 元駐日大使許世楷氏の仲介で、運動の中心的な学生5人が参加をしてくれ、この間の経緯を語ってくれました。通訳を交えての対話でしたので時間が足りず、そのまま昼食もご一緒することに。

 乾杯の音頭をすることになった私は日本で流行った「ほえほえくま〜(※)」で乾杯をしたところです。許世櫂氏によれば、ひまわり運動の学生と対話をした初めての日本の議員団だとの事。

※「退回服貿!」日本語に訳すると「貿易協定を撤回せよ!」ですが、これが「ほえほえくま〜」と聞こえることから、結構話題になっていました。


▼亜東関係協会会長を表敬訪問
 日本と台湾は国交が無いため、台湾は亜東関係協会、日本は交流協会という組織が実務関係を処理する機関となっています。実態は台湾では外交部、日本では外務省の外郭団体と言えます。(台湾では、身分は外交部のまま配属されるようです)

 昨年5月から亜東関係協会会長に就任した李嘉進氏は、立法委員(国会議員)や総統府国家安全会議(NSC)の委員(閣僚級)を歴任してきた方です。

 懇談の席では、日本と台湾の友好を深めるためにはどうあるべきか、尖閣の問題など意見交換をしたところです。その後、外交部の配慮で台北賓館(※)(迎賓館)を見学することができました。

 事前に紹介DVDを拝見したのですが、偶然そのDVDに出演していた教授が、学生を引き連れて研修に来ているのにばったり出会い驚きました。

※台北賓館は、元台湾総督官邸で日華条約が調印された場所でもあります。現在も外交上の式典などで使用されています。


▼芝山公園 六士先生
 台湾では総督府開設から一ヶ月も経たないうちに学校教育が始まりました。しかし当時は、まだ治安も安定していずゲリラ活動などもあったのですが、「身に 寸鉄を帯びずして住民の郡中に入らねば、教育の仕事はできない」「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と避難せずに授業を行っていた教師が惨殺される事件 がありました。

 その場所には、その後、芝山巌神社が創建されましたが戦後、神社は破壊されてしまいました。しかしその後の民主化で倒されていた碑も復元され、お墓も再建されています。

 今回、管理を担当している(?)人のご好意で、実際に教室として使用されていた場所も見ることができました。

▼基隆市長との懇談
 残念ながら、先方も議会対応なので約束の時間に来ることができず、あまり突っ込んだお話を聞く事ができませんでした。それでも市長とも面識ができたので、今後の交流につながればと考えています。

 話は変わりますが、市長を待つ間に目の前に停泊していた神戸出港の大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号。突如大きな霧笛をならしてキールンを出港していく姿を見ることができました。

▼李登輝元総統 表敬訪問
 先方から、どうしても外せない事情があるので、と約1時間早く始まった李登輝元総統のお話は、約30分の予定を大幅に超え、2時間半にも及びました。

 私たちが帰る頃には、警察が事務所ビルの前で規制線を敷き、パトカーが何台もいましたから、政府の要人とその後、お会いしたのかもしれません。その為に準備する時間を割いてくれたのかと思うと、本当に頭の下がる思いです。

 最後に、ごく自然に李登輝元総統と参加者全員で手をつなぎ「故郷」を歌ったのですが、胸に熱いものが湧いてきて、とても印象強いものとなりました。

 お会いするのは今回3度目でしたが、以前にもまして、死を意識しながら台湾の未来を切り拓く活動をされていました。その姿を目に焼き付けて日本に帰ってきました。

(市会議員・中島健一)


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